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「笑われて・笑わせて・道に迷い・親切に泣き・
走った122カ国・38万キロ・赤道4か所・国境206か所」
バイクの松尾・オートバイひとり旅の準備編
●オートバイで世界を走ろうと思った動機は
いつかは「世界の果てを見てみたい」と漠然(ばくぜん)と思っていた。
退職まじかになって前を見たとき「ええー、あと20年で80才 」
もう人生終わりじゃないか。急にあせる気持ちになった・・
酒好きだから退職を待っていたら・・いつ倒れるかわからない・・
今は元気だ、じゃー元気な今のうちに走ろうと決断・・早期退職を決める。
2000年(平成12年)10月56歳で退職
●海外で走る不安は
ほんとに走れるのか、言葉のこと、地理のことなど考えると考えるほど不安だった。
深夜特急、沢木耕太郎氏。 沈没日記、蔵前仁一氏の本などを読んで「何とかなりそう」の気持になる。
しかし、不安より自由になるうれしさの方が強く。
退職すると決めた時から腹の奥で笑いがとまらなかった。
●準備期間はどのくらい、
一番最初ひらぺったい小さい世界地図を買って折りたたんで毎日通勤で見ていた。
そしてトイレにも世界地図全図を貼った。(1999、2、2)それからだから実際は1年9ヶ月。
● 一日5000円で計算。
宿泊代。食事代。ガソリン代、すべてこみ込み。一日5000円で計画。
ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアでは足りなかった。が2000円ぐらいで収まる国もあったので・・平均すれば5000円で収まった。
●訪問先の下調べは
ほとんどなし
●バイクの輸送は
最初ロシア、ウラジオストック。中国、上海。インドとかあっちこっちの運送や大使館などに聴いた。
当時ウラジオストックに貨物便があることがわかったが夏の間だけだった。
ウラジオストック船便はあったかどうかも知らなかった。
今は富山。伏木港から客船が出ている。マイカー、オートバイ OK
(2017年現在運航中止になっている)
中国、上海は大阪から125ccまでは運べると聴いた。中国は自分のオートバイの持ち込みは今でもダメである。
インドに送ろうとしたが日本大使館の車でも手元にくるまで半年かかると言われた。
オランダに送ることにした。
NI. SE クロネコヤマトとか見積もりを取った。
2社はナシのつぶて。即日返事をくれたクロネコヤマトに決めた。営業所もオランダにあった。
オランダまで輸送費8万円 梱包費8万円だった。(自分で梱包できれば安く上がる)
オランダからニューヨーク。アンカレジから日本もクロネコヤマトだった。
*もっと安い輸送会社あったら教えて下さい。
今のところ海外に一番安くて早く渡れるのは富山、伏木港からロシア、ウラジオストック
FKKエアーサービス株式会社(2017年現在運航していません)
世界船輸送のこと www.wtn-j.com/ TOPページ「バイク輸送情報」で調べることができます。
稚内からサハリン、フェリー運航していますが人のみです。
しかし、2006年9月で車、オートバイなど載せられなくなりました。
現在海外に送ることができるのは
2017年現在フェリー運航
島根・境港〜韓国経由〜ウラジオストク。毎週月曜日運航している
●オートバイを送る準備?と外国で走るには
海外にオートバイを送るにはカルネ(オートバイのパスポート)が必要
カルネはJAFジャフで発行している。
JAF(JR浜松町歩10分)に行って黄色い表紙のカルネの書類をつくる。
●外国を走るのには
@「国際免許証」(地元の免許センターで即発行してくれる)
一年間有効です。(申請するとき2年とか3年にできないですかねと一言言ってください)
一年過ぎたらそのまま違法承知で乗り続けるか。一時帰国するか。
家族か知り合いに頼んで代理で取って貰うか。
私は一年半ぐらいそのままだった。ロシア。アメリカで一回づつ「見せて」といわれた。
(期限を過ぎてクレーム文句言われてひどい目に遭った話はまだ聴いていません。会った人がいたら教えて下さい)
Aカルネ(JAF発行)が必要
●目的を達成する期間は
出発までなんやかんや準備に時間がかかる。手続きは同じところに二度三度足を運ぶこともある。面倒だけどこれも旅のうちと考えて楽しみましょう。旅はアッとゆうまに終わるのですから、、。
最初2年間の予定はヨーロッパ、北アメリカだけだった。その後の予定は決定しておらず。
ここまで来たのだからと、どんどんとなりの国に入っていった。
2017年1月。現在122カ国・38万キロ・赤道4か所・国境206か所走ってきた。
走り始めた2000年10月から2016年12月まで16年間自分でもよく走ってきたなーと思っています。笑ってやってください。
途中5回ほど一時帰国して空白期間ありますから正確には10年間ぐらいになるでしょうか。
わたしの場合、理想は1年ぐらい走ってオートバイをそこの国に置いたまま帰国して体力つけてまた戻るのがいいのかなーと思う。
●なぜひとり旅
今は「ひとり」の旅でよかったと思っている。いっしょに行きたいと言う人がいてもお断りすると思う。行き当たりばったりで現地で対応する行動パターン。
気を使うので「ひとり」でないと疲れて続けられないと思う。
どんなに気が合う友達でも長い期間だと、気を使うので特に疲れてくると相手の欠陥が目につき口も利かないようになる。
夫婦でも出発して、帰って来る時はひとりでとゆうことも・・たびたび、聴いたり見たりしている。
10日間ぐらいは大丈夫でしょうけれど・・半年、一年走るとなるとちょっときびしいかなとわたしは思う。
●入国の為のビザなどはどうする
外務省 でビザの必要な国一覧表をくれる。
(送ってもくれる)電話でいいです。
www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/index.html
ヨーロッパはほとんどビザなしでOK.。
ロシア横断、中央アジアを走るときはロシア、モンゴル、カザフスタンは日本で取って、カザフスタンでウズベキスタンを取り、タジキスタンとかのスタンの国は現地ウズベキスタンで取った。
ロシアビザ→「ロシアビザセンター」赤坂。パスポート持って行ったっリ送ったりして手早く対応してくれます。
トルクメニスタンは発行に21日間かかったので、その間にまわりの7カ国のビザを取った。
この場合ある程度その「入る国の」日程を計算しておかないと無駄になることがある。
普通は手前の国で次に進む国のビザを取ることになる。
全部日本語で通した(日本語しかできない)みじめ。
●ビザ発行の日数と料金は
申請したその日に発行する国もあるが、普通は2日、3日のところ。7日間ぐらいのところも・・。
アメリカ・オーストラリアは大使館で発行しない。自分または旅行代理店でインターネットに登録して終わり。
パスポートで確認することができないのでほんとに大丈夫なのか入国するまでひやひやだった。その国によってビザ代は違う。
●語学の準備はどうされたか?
話せる。聴いてわかる、これができればどんなに楽しい旅になるかと思う。
友達もいっぱいできるだろうしうらやましく思う。
わたしはまったくしなかった(できなかった)。知っているのは野球の用語ぐらい、ファースト、セカンド、カーブ、ストレート、ネクストボックス、センター、レフト、オーバー、チェンジ、ダイレクト、ハリーハリー。まっすぐ行って二つ目を右に、ストレートセカンドライトこんなもんで・・。
たとえば、1、2年、5年とか勉強したとしても英語だけじゃないから。相手の話すことを聞き取れるかどうか。勉強の時間がもったいない。
この考えは旅立って現地にいってみて正しかったと思っている。(負けおしみ)
●レストランでは
メニュー見てもわからない、聞いてもわらないモーウ。ココ コケッコッコー。メヘヘーンで注文。いつも笑われていた。
ワンランク下の人間が来たと思えてかなごやかな雰囲気になる。
この時点(2000.10)でオートバイで走っているのは自分だけぐらいに思っていた。だから一人で考え準備した。パソコンを使えなかったし情報がわからなかった。はずかしい。
走りながら少しづつ覚えたパソコンで2002年1月アルゼンチンでNさんのネットを始めて見たノーザンヲーカー「エーこんなにオートバイで走っている人がいる」「10人ぐらいの人が世界地図に載っていた」走っているのは一人だけと思っていたのでびっくりしたと同時にガッカリした。
●宿泊先の確保は、ないときは街ではすべて現地でさがす。
行き当たりばったり。一応ユースホステルの本はもっていた。ユ−スホステルはいろんな国の人がいて、いろいろな情報を得られる。言葉はゼスチャーで。
郊外にも結構宿屋はあり、かえって安い。ないときはテントを張る。テントになれるとこんな気楽なことはない。
●オートバイの修理はまったくできない。
オートバイはHONDA1500ccワルキューレ。空身で330kg荷物を積んだ総重量450kg。
日本で一年ちょっと乗ってオランダに船で送った
ブレーキ板とかはわかるけどキャブがどこにあるのか、どうゆう役目をするのかまったくわからない。
初歩的なこともわからない。修理はまったくできない。
エンジンオイルだけは自分でようやく最近交換できるようになった。
●日本との連絡は
ホームページと電話。
電話が日本に通じるまでが大変。
カードの裏に書いてある番号を、、入れて聴いてまた番号入れて、、とにかく面倒だった。
●体力の維持方法は
外国に出たらトレーニングはやらなかった。なぜかやる気が出てこない。
一年ぐらいで体力が落ちた。
アルコールは毎日かかさなかったけど。
●病気は
あたたかいエジプトとかで扇風機で風邪引いた。ネパールではお迎えが来たのかと思うほど腹が痛かった。知り合った地元の人と病院にいった。病院の薬でスカッと直った。
安い餃子の食あたりだった。
ポルトガル。メキシコで猛烈な下痢。
まにあわなくてベッド、パンツに漏らした。
●くすりは
日本から持っていった。常備薬の下痢止め。風邪薬。正露丸。胃腸薬。それに歯痛止めこれは必要。一番使ったのは風邪薬。
メキシコで正露丸と現地の水どっちが勝つかためした。正露丸が負けた。
●服装。
下着 パンツ。半そでシャツ。長袖シャツ、、各三枚づつでだいたい足りる。(最初は不安だから下着、上着ごっそり持っていった)靴下も三枚ぐらいで十分。わたしは宿に着いたら、下着、靴下を身体を洗うときいっしょに洗っていた
最高一番着替えなかったのは10日間ぐらい(チベット)。自分でもわかりますニオイが。そんなに下着はいらない。
●最も重宝なもの
あかこすりタオル。少し荒めのもの。石鹸つけなくてきれいさっぱりの気持になる。
つめきり(気持ちよく切れ味のいいもの)。みみあかとり(カーテンピンをつぶして胸ポケットにさしていた。
バスタオルの変わりにマイカーボディ水切り用 鹿の皮は乾きも早くてコンパクトで重宝だった。
●トイレ事情
国によって紙の質が違う。硬い紙のときは水に浸して使っていた。しゃがむ前に紙を濡らしたしておかないとパンツをおろしたままよちよち歩くはめになる。しかも便器の中にすてられない。
目の前の容器やバケツにすてる。一回目の紙は、なれないとなっかなか、、勇気がいる。
もっと大変なのは紙のない、買うにも売ってない国では水でお尻を手桶で洗う。
最初はどうしてもウンコが手にくっついてしまう。なれると紙よりすっきりして気持がいい。
ホースを使って洗う国もある。なれないとあっちこっちに飛んでズボンを濡らす。こっちは断然いい気持自分で買ったホース1mを持って歩いてた。
●水周り
洗面所からの水漏れは意外とどこの国でも苦労している。ひどいところは洗面所からあふれたりして下の階まで
落ちていた。
●海外保険は
最初2年間有効な保険をかけた。2回目からは半年ごとに延長している(振り込むだけにして家族にたのんでいる)
●交通事故
ヘリコプターで運ばれるアラスカで交通事故。入院10日間、総費用640万円ぐらいだった。
ヒエー保険に入っててよかった。ヘリコプター代80万円。
●おちこむこと、不安になったことは
落ち込みの連続であった。朝出発するとき右か、左か、まっすぐかこれが一日のはじまり。
砂漠の国、雪の国。山岳の国などでは道路がどうなってるか心配でねむれない夜が続くこともあった。
●道に迷ったことは
しょっちゅう。100kmぐらい走ってどうも違うようだと気づいて戻ったこともある。ブラジルなどで
●たちゴケ、転倒は
もうもう、、数え切れない。私のは重いので(450kg)一人では無理。そのつど近くの人に手伝ってもらうか。誰もいないときは前からか、うしろから来るトラック、自動車が来るまで待たざるをえない。
シベリアではいつくるのかわからないへんぴなところで、どうなるかと不安だった。40分ぐらいで来てくれたのでほっとした。このときの時間は長がーい。
一年近くなると体力が落ちてちょこっとしたことですぐに倒れてしまうようなことがしばしばあった。
シベリア、パキスタン北部、。インド北部はここは道が悪いじゃりみち。泥沼、深いわだちにはまいった。平均標高チベットでは多いとき4回転んだ。
●国境越えるには
手続きが面倒。その国を出るのに一時間次の国に入るのに一時間ぐらいかかった。平均2時間ぐらい。
ヨーロッパには入出国のチェックはないけれど、国境はある(当然か)
今までに206か所国境を越えてきた。
いちばん時間がかかったのはエジプトからイスラエルに入るのに一日半。午後にエジプト側を出たがイスラエルの方がダメだった(どうしてか、はイスラエルに聴いて)近くの町にまた戻り。次の日またやり直してようやくイスラエルに入った。
イスラエルは荷物すべて、ほんとすべてを検査します5時間ぐらいかかったかな。係官と食堂でめしくったりしながら。
トルクメニスタンでは丸一日かかった。朝から晩まで(今思うと旅行会社どうしの連絡ミスだったのかも)
短いところはブラジル〜アルゼンチン2,3分だった。
●国境を越えるとそこは○○だった。
地球の上に人間が勝手に線を引いて作った「出入口」?
自分でもおかしいけれど、変わるわけではないのに国境を越えると何か地形も変わるようなそんな錯覚をする。
大使館や国境でもビザ申請書、国境の申請書には「すみません、わかりません、よろしくお願いします」ひらがなで書きこんでそれでOKだった。
そこら鉄条門の国境あたりの草木や岩に笑われてるんじゃないかと恥ずかしい気持で超えていた。
がらっと変わっていた国境は。エジプト側は砂砂漠だったのにイスラエルに入ったら青々とした畑に変わっていた。オーもうこれで砂漠を走らなくてすむ。
砂漠が怖くて怖くてしかたなかったので心底ほっとした。ここだけが変っていた。
サハラ砂漠をセネガルからモロッコに向かって2000キロ走った(2008年4月)砂嵐で道が消える、恐ろしかった「死を覚悟した」「蛍の光を歌って走った」
しかし絶対今日だけは生きてやる・・と走った。
国境越えは笑顔が一番かもしれない。
●年とってから海外走るのは大丈夫だろうか
ちょうど56歳誕生2000.10月から出発。2006年10月63歳になる。
いろんな準備するより、元気、気力充実しているときに、一日でも早く旅に
出たほうがよいと思う。
●これだけしておけばとかありますか
テントで野宿の経験をしておくと怖いものなし。
意外とテントで泊まることは勇気がいるものです。
最初は自宅の庭とか、ベランダとか。一晩経験すればあとは楽。
●走っているときの食べ物は
普通のキャンプ、、といっても経験がなければわからないから
ガスボンベは空港で没収なので海外で買うとして。(船で送るときオートバイの中に入れとけば大丈夫)
ガソリンコンロを使う人が多いのかな。
出発するまでに安い卓上コンロを使ってお湯を沸かしたりして自分の好きなものインスタントを作ったりする。ハイこれでOK .最初は友達とか家族でいっしょにキャンプすると楽しいですね。金かけないこと。
わたしはたまねぎと塩は必ずもって走っていた。1センチ幅に切って塩つけて生を酒のつまみにもしていた。
たまねぎ、ジャガイモ、コーラは世界どこの国にもあった。あとは現地のもの何でもOKだった。
●最初はどこの国から走る
ヨーロッパ。オーストラリア。または北アメリカ
ヨーロッパはビザはいらないしホテルはどこにでもあるから一番走りやすいかも。
北アメリカもいいけど広すぎないですかね、サンフランシスコ〜ニューヨーク5000km
オーストラリアは季節を選べば道路も人柄も最高。しかし夜は走行禁止。野生動物と衝突する。
ナラボー平原だけ泊まる場所の間隔が長い。オーストラリアは船運賃も安い。しかし物価は高いですねー
●お金の出し入れは
私はCITYBANK シティバンクのカードで現地のお金を引き出して使っていた。
このほかにマスターカード2枚、ビザカード2枚持っていきました。
万が一のときを考えて2枚のうち1枚づつまったく別のところに保管していた。結果的に1枚づつだけでよかったけど、、。
わたしはシティバンクには泣かされた。あっちこちのATMにのみこまれたり、ある国では使えなかったり散々な目にあった。(オーストラリアは立派なシティバンクはあるがATMの器械は一台も置いてない。他の銀行のATMでおろさなければならない)
中央アジアのトルクメニスタン、一部の国ではマスターカード。ビザカードが使えなかった。
イランはすべてのカード使えないので約1000km離れた一番近い隣の国アゼルパイジャンまで2000キロお金おろしに走った。
●海外のネット事情は
うーん日記を見ないとはっきりしたこと言えないけど東欧、中央アジアのタジキスタン、トルクメニスタンではなかったような、、他の国ではほとんどの首都にはあったような気がする。わかったらのちほど。
ネット屋は日本より断然多い国もある。アフリカもほとんどの国でネット屋がある。
ユースホステルにはほとんど設置してある。
日本語で読めるけど英語、ローマ字でしか書き込めないところが多かった。
●知らない国で困ったときどうすれば
いちにも、二にも謙虚さ、相手を見くださない。知ったかぶりしない。えらぶらない。
ごまかさない。
しかしダメなものは駄目と態度で示す。
お金でもない。言葉でもない。どこの国に行っても人と人。誠意を持って接すれば
応えてくれる。応えてくれた。
立派なこと言いながら「自分さえよければすべてよし」を地でいってしまったことがはずかしい。
走り残した大陸は東南アジアだけになった・・近いうちに走ろう。
2017年3月22日
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