ニューヨーク NEWYORK                                                                 

9時15分発サンフランシスコ行きユナイテット航空に搭乗していた。飛行機をおろされどこに行くか知らないバスで退避。 夕方歩いてビル爆破現場に行く。白い綿ぼこりが10cmぐらい道や車についていた。11日12時で12日の日付にかわっていた。 教会には給水するためボランティアの人が集まっていた。
消防車、救急車、パトカー、TV取材車などが走りまわっていた。カメラの日付11日昼12時で翌日になっていた。 いつもガラガラのユースホステルTVルームは朝から晩まで心配そうに見ていた。 ビル爆破現場から2km範囲で交通止め。
全面閉鎖の飛行場は7日目にオープン。一ヶ月後日本から戻っても煙がのぼっていた。 現場から帰ってきた消防士。
爆破したビルの近くには献花の山。 自由の女神が見えるビル爆破現場近くの公園。 ビル爆破当日夕方消防士は放水したり、ガスボンベを背負って地下鉄に入っていった。
ユースホステルの電話、朝から夜まで全ての電話が順番待ち、日本人旅行者は「マンハッタンからすぐ離れろ」と言われたと話していた。