旅の準備                                                                              HOME
   一問一答


・世界を走ろうと思った動機は
いつかは「世界の果てを見てみたい」と漠然と思っていた。退職まじかになって
「あと20年で80才 エー   」
今は元気。動けるのは今しかないと早期退職を決める。(57歳で退職)


・海外で走る不安は
ほんとに走れるのか、、言葉のこと、、地理のことなど考えると考えるほど不安だった。
深夜特急、沢木耕太郎。 沈没日記、蔵前仁一の本などを読んで「何とかなりそう」の
気持になった。(職場の人がこんなものがあったよと上の本をくれたこと旅の話もしてない
のに強い気持があると通じるのかなー今でも不思議に思う)

不安より自由になるうれしさの方が強く。退職すると決めた時から腹の奥で笑いがとまらなかった。

・準備期間はどのくらい、
一番最初ひらぺったい小さい世界地図を買って毎日通勤で見ていた。
そしてトイレにも世界地図全図を貼った。(1999。2。2)それからだから、、実際は1年9ヶ月。

・世界一周 費用はどの程度考えられたものか? 
思い立ってから ためたのは200万円ぐらい
<退職金当てているように感じた>そのとおり

一日の費用5000円で計算した。
宿泊代。食事代。酒代。 ガソリン代。すべて込みこみ。
ヨーロッパ。北アメリカ。オーストラリアでは足りなかった。
                              
・訪問先の下調べは
まったくなし行きあたりばったり

・バイクの輸送は
最初ロシア、ウラジオストック。中国、上海。インドとかあっちこっちの運送や大使館などに聴いた。
当時ウラジオストックに貨物便があることがわかったが夏の間だけだった。
ウラジオストック船便はあったかどうかも知らなかった。
今は富山。伏木港から客船が出ている。マイカー、オートバイ OK 
FKKエアーサービス株式会社

中国、上海は大阪から125ccまでは運べると聴いた。中国は自分のオートバイの持ち込みは今でもダメである。
インドに送ろうとしたが日本大使館の車でも手元にくるまで半年かかると言われた。

オランダに送ることにした。
NI. SE クロネコヤマトとか見積もりを取った。
2社はナシのつぶて。即日返事をくれたクロネコヤマトに決めた。営業所もオランダにあった。

オランダまで輸送費8万円 梱包費8万円だった。(自分で梱包できれば安く上がる)
オランダからニューヨーク。アンカレジから日本もクロネコヤマトだった。
*もっと安い輸送会社あったら教えて下さい。

今のところ海外に一番安くて早く渡れるのは富山、伏木港からロシア、ウラジオストック
FKKエアーサービス株式会社
世界船輸送のこと www.wtn-j.com/ TOPページ「バイク輸送情報」で調べることができます。

・オートバイを送る準備?と外国で走るには
海外にオートバイを送るにはカルネ(オートバイのパスポート)が必要
カルネはJAFジャフで発行している。
JAF(JR浜松町歩10分)に行って黄色い表紙のカルネの書類をつくる。

・外国を走るのには
@「国際免許証」(地元の免許センターで即発行してくれる)
 一年間有効です。(申請するとき2年とか3年にできないですかねと一言言ってください)
 一年過ぎたらそのまま違法承知で乗り続けるか。一時帰国するか。家族か知り合いに頼んで代理で取って貰うか。

 私は一年半ぐらいそのままだった。ロシア。アメリカで一回づつ「見せて」といわれた。(期限を過ぎてクレーム文句言われてひどい目に遭った話はまだ聴いていません。会った人がいたら教えて下さい)

Aカルネ(JAF発行)が必要

・目的を達成する期間は、、
出発までなんやかんや準備に時間がかかる。手続きは同じところに二度三度足を運ぶこともある。
面倒だけどこれも旅のうちと考えて楽しみましょう。旅はアッとゆうまに終わるのですから、、。

最初2年間の予定はヨーロッパ、北アメリカだけだった。その後の予定は決定しておらず。
ここまできたんだからと、どんどんとなりの国に入っていった。
今は4年9ヶ月。82カ国になった。残りはアフリカになった。

わたしの場合、理想は1年ぐらい走ってオートバイをそこの国に置いたまま帰国して
体力つけてまた戻るのがいいかなーと思う。

・なぜひとり旅
今は一人の旅でよかったと思っている。いっしょに行きたいと言う人がいてもお断りすると思う。
行き当たりばったりで現地で対応する行動パターン。気を使うので一人でないと疲れて続けられないと思う。
どんなに気が合う友達でも長い期間だと、特に疲れてくると相手の欠陥が目につき口も利かないようになる。

山登りの縦走7日間ぐらいでもそう感じたこともある
性格でしょうから、わたしの場合は一人がいいです。

・入国の為のビザなどはどうする
外務省 でビザの必要な国一覧表をくれる。(送ってもくれる)電話でいいです。
www.mofa.go.jp/mofaj/toko/visa/index.html

ヨーロッパはほとんどビザなしでOK.。

ロシア横断。中央アジアを走るときは
ロシア、モンゴル、カザフスタンは日本で取って、カザフスタンでウズベキスタンを取り、
タジキスタンとかのスタンの国は現地ウズベキスタンで取った。トルクメニスタンは発行に
21日間かかるのでその間にまわりの7カ国のビザを取った。
この場合ある程度その「入る国の」日程を計算しておかないと無駄になることがある。

普通は手前の国で次に進む国のビザを取ることになる。
全部日本語で通した(日本語しかできない)みじめ。

・ビザ発行の日数と料金は
申請したその日に発行する国。2日。3日。のところ。7日間ぐらいが一番多いと思う。
オーストラリアは大使館で発行しない。自分または旅行代理店でインターネットに登録して終わり。
パスポートで確認することができないのでほんとに大丈夫なのか入国するまでひやひやだった。
その国によってビザ代は違う。

・語学の準備はどうされたか?
話せる。聴いてわかる、これができればどんなに楽しい旅になるかと思う。
友達もいっぱいできるだろうしうらやましく思う。

わたしはまったくしなかった(できなかった)。知っているのは野球の用語ぐらい、
ファースト、セカンド、カーブ、ストレート、ネクストボックス、センター、レフト、オーバー、チェンジ、
ダイレクト、ハリーハリー。まっすぐ行って二つ目を右に、、ストレートセカンドライトこんなもんで



*ちょっと休けい   フー 英語つかうと つかれる

         あーきゃーなえたー(あーつかれたー)。
                     
 
 ここになにかの写真、、あーそうだ82カ国 共通「まつお事典」を入れよう。


たのしみにまっててくんしゃい




たとえば、1、2年、5年とか勉強したとしても英語だけじゃないから。相手の話すことを聞き取れるかどうか。勉強の時間がもったいない。
この考えは旅立って現地にいってみて正しかったと思っている。(まけおしみ)

・レストランでは
メニュー見てもわからない、聞いてもわらない
モーウ。ココ コケッコッコー。メヘヘーン。で注文。いつも笑われていた。
ワンランク下の人間が来たと思えてかなごやかな雰囲気になる。

・行程はどのように決められたのか、どなたかにアドバイスいただいたものですか
まずビザのいらないヨーロッパを出発点とした。この時点(2000.10)でオートバイで走っているのは自分だけぐらいに思っていた。だから一人で考え準備した。パソコンを使えなかったし情報がわからなかった。はずかしい。

走りながら少しづつ覚えたパソコンで2002年1月アルゼンチンでNさんのネットを始めて見た ノーザンヲーカーで
「エーこんなにオートバイで走っている人がいる」「10人ぐらいの人が世界地図に載っていた」走っているのは一人だけと思っていたのでびっくりしたと同時にガッカリした。

・宿泊先の確保は前もってされたのでしょうか。ないときは
街ではすべて現地でさがす。行き当たりばったり。一応ユースホステルの本はもっていた。ユ−スホステルはいろんな国の人がいて、いろいろな情報を得られる。言葉はゼスチャーで。
郊外にも結構宿屋はあり、かえって安い。ないときはテントを張る。テントになれるとこんな気楽なことはない。

・オートバイの修理は
まったくできない
オートバイはHONDA1500ccワルキューレ。空身で330kg荷物を積んだ総重量450kg。
米俵やく8表弱。日本で一年ちょっと乗ってオランダに船で送った

ブレーキ板とかはわかるけどキャブがどこにあるのか、どうゆう役目をするのかまったくわからない。
初歩的なこともわからない。修理はまったくできない。
エンジンオイルだけは自分でようやく最近交換できるようになった。

・82ヶ国まわられてアドバイスは。
体力をつけておくこと。今でも毎朝5k鉄アレイを持って片道2km歩く。行った先公園一周1kを3〜5回走って2時間ぐらいで終わる。(もしかしたら酒飲むためのトレーニング?かも)寒いきびしい冬はよくサボるけど。

・日本でサポートされるのは
家には妻。それに九州の実家がホームページを作ってくれていので助かっている。

・日本との連絡は
ホームページと電話。
電話が日本に通じるまでが大変、、。カードの裏に書いてある番号を、、入れて聴いてまた番号入れて、、とにかく面倒だった。

・体力の維持方法は
外国に出たらトレーニングはやらなかった。なぜかやる気が出てこない。一年ぐらいで体力が落ちた。
アルコールは毎日かかさなかったけど。

・病気は
あたたかいエジプトとかで扇風機で風邪引いた。ネパールではお迎えが来たのかと思うほど腹が痛かった。知り合った地元の人と病院にいった。病院の薬でスカッと直った。安い餃子の食あたり
ポルトガル。メキシコで猛烈な下痢。まにあわなくてベッド、パンツに漏らした。

・くすりは
日本から持っていった。常備薬の下痢止め。風邪薬。正露丸。胃腸薬。それに歯痛止めこれは必要。
一番使ったのは風邪薬。

服装。
下着 パンツ。半そでシャツ。長袖シャツ、、各三枚づつでだいたい足りる。(最初は不安だから下着、上着ごっそり持っていった)靴下も三枚ぐらいで十分。わたしは宿に着いたら、下着、靴下を身体を洗うときいっしょに洗っていた

最高一番着替えなかったのは10日間ぐらい(チベット)。自分でもわかりますニオイが。そんなに下着はいらないです。

・最も重宝なもの
あかこすりタオル。少し荒めのもの。石鹸つけなくてきれいさっぱりの気持になる。
つめきり(気持ちよく切れ味のいいもの)。みみあかとり(カーテンピンをつぶして胸ポケットにさしていた。
それからバスタオルの変わりにマイカーボディ水切り用 鹿の皮は乾きも早くてコンパクトで重宝だった。

・トイレ事情
国によって紙の質が違う。硬い紙のときは水に浸して使っていた。しゃがむ前に紙を濡らしたしておかないとパンツをおろしたままよちよち歩くはめになる。しかも便器の中にすてられない。
目の前の容器やバケツにすてる。一回目の紙は、なれないとなっかなか、、勇気がいる。
もっと大変なのは紙のない、買うにも売ってない国では水でお尻を手桶で洗う。

最初はどうしてもウンコが手にくっついてしまう。なれると紙よりすっきりして気持がいい。
ホースを使って洗う国もある。なれないとあっちこっちに飛んでズボンを濡らす。こっちは断然いい気持
自分で買ったホース1mを持って歩いてた。

・水周り
洗面所からの水漏れは意外とどこの国でも苦労している。ひどいところは洗面所からあふれたりして下の階まで
落ちていた。

・海外保険は
最初2年間有効な保険をかけた。2回目からは半年ごとに延長している(振り込むだけにして家族にたのんでいる)
ヘリコプターで運ばれるアラスカで交通事故総費用640万円ぐらいだった。ヒエー保険に入っててよかった。
損害保険金額を払わない保険会社が多く。社会問題になった。今はどんなことでもすんなり支払っていると思う。

・おちこむこと。不安になったことは
落ち込みの連続であった。朝出発するとき右か、左か、まっすぐかこれが一日のはじまり。
砂漠の国、雪の国。山岳の国などでは道路がどうなってるか心配でねむれない夜が続くこともあった。

・道に迷ったことは
しょっちゅう。100kmぐらい走ってどうも違うようだと気づいて戻ったこともある。オランダ。ブラジル。などで

・たちゴケ、転倒は
もうもう、、数え切れない。私のは重いので(450kg)一人では無理。そのつど近くの人に手伝ってもらうか。誰もいないときは前からか、うしろから来るトラック、自動車が来るまで待たざるをえない。
シベリアではいつくるのかわからないへんぴなところで、どうなるかと不安だった。40分ぐらいで来てくれたのでほっとした。このときの時間は長がーい。

一年近くなると体力が落ちてちょこっとしたことですぐに倒れてしまうようなことがしばしばあった。
シベリア、パキスタン北部、チベット。インド北部はここは道が悪いじゃりみち。泥沼、深いわだちにはまいった。

・国境越えるには
手続きが面倒。その国を出るのに一時間次の国に入るのに一時間ぐらいかかった。平均2時間ぐらい。
ヨーロッパには入出国のチェックはないけれど、、国境はある(当然か)。なにを言いたいか。そのヨーロッパの国境を入れて100箇所近い国境を超えてきた。いっぱい超えてきたとじまんしたいだけ。

いちばん時間がかかったのはエジプトからイスラエルに入るのに一日半。午後にエジプト側を出たがイスラエルの方がダメだった(どうしてか、はイスラエルに聴いて)近くの町にまた戻り。次の日またやり直してようやくイスラエルに入った。イスラエルは荷物すべて、ほんとすべてを検査します5時間ぐらいかかったかな。係官と食堂でめしくっったりしながら、、。

トルクメニスタンでは丸一日かかった。朝から晩まで(今思うと旅行会社どうしの連絡ミスだったのかも、、。)
短いところはブラジル〜アルゼンチン2,3分だった。

・国境を越えるとそこは○○だった。
地球の上に人間が勝手に線を引いて作った「出入口」?
自分でもおかしいけれど、変わるわけではないのに国境を越えると何か地形も変わるようなそんな錯覚をする。
そこら鉄条門の国境あたりの草木や岩に笑われてるんじゃないかと恥ずかしい気持で超えていた。

がらっと変わっていた国境は。エジプト側は砂砂漠だったのにイスレエルに入ったら青々とした畑に変わっていた。オーもうこれで砂漠を走らなくてすむ。砂漠が怖くて怖くてしかたなかったので心底ほっとした。ここだけが変っていた。

国境越えは笑顔が一番かもしれない。

・年とってから海外走るのは大丈夫だろうか
ちょうど57歳誕生2000.10月から出発。2006年10月63歳になる。
いろんな準備するより、元気、気力充実しているときに、一日でも早く旅に出たほうがよいと思う。

・これだけしておけばとかありますか
テントで野宿の経験をしておくと怖いものなし。意外とテントで泊まることは勇気がいるものです。
最初は自宅の庭とか、ベランダとか。一晩経験すればあとは楽。

・走っているときの食べ物は
普通のキャンプ、、といっても経験がなければわからないから
ガスボンベは空港で没収なので海外で買うとして。(船で送るときオートバイの中に入れとけば大丈夫)
ガソリンコンロを使う人が多いのかな。

出発するまでに安い卓上コンロを使ってお湯を沸かしたりして自分の好きなものインスタントを作ったりする。ハイこれでOK .最初は友達とか家族でいっしょにキャンプすると楽しいですね。金かけないこと。

わたしはたまねぎと塩は必ずもって走っていた。1センチ幅に切って塩つけて生を酒のつまみにもしていた。
たまねぎ、ジャガイモ、コーラは世界どこの国にもあった。あとは現地のもの何でもOKだった。

・最初はどこの国から走る
ヨーロッパ。オーストラリア。または北アメリカ

ヨーロッパはビザはいらないしホテルはどこにでもあるから一番安全かも。
北アメリカもいいけど広すぎないですかね、サンフランシスコ〜ニューヨーク5000km
オーストラリアは季節を選べば道路も人柄も最高。しかし夜は走行禁止。野生動物と衝突する。
ナラボー平原だけ泊まる場所の間隔が長い。オーストラリアは船運賃も安い。しかし物価は高いですねー。

・お金の出し入れは
私はCITYBANK シティバンクのカードで現地のお金を引き出して使っていた。
このほかにマスターカード2枚、ビザカード2枚持っていきました。万が一のときを考えて2枚のうち1枚づつまったく別のところに保管していた。結果的に1枚づつだけでよかったけど、、。

わたしはシティバンクには泣かされた。あっちこちのATMにのみこまれたり、ある国では使えなかったり散々な目にあった。(オーストラリアは立派なシティバンクはあるがATMの器械は一台も置いてないです。他の銀行のATMでおろさなければならない)

現金の代わりにT/C トラベルチェックは便利ですね。盗られても再発行してくれる。
中央アジアの一部の国ではマスターカード。ビザカードが使えなかった。
アメックス(アメリカン、エックスプレス)は全世界で使えるようですこのアメックスカードは強い。イランはすべてのカード使えないので約1000km離れた一番近い国アゼルパイジャンまでお金おろしに走った。

・海外のネット事情は
うーん日記を見ないとはっきりしたこと言えないけど東欧、中央アジアのタジキスタン、トルクメニスタンではなかったような、、他の国ではほとんどの首都にはあったような気がする。わかったらのちほど、、。
ネット屋は日本より断然多い国もある。ユースホステルにはほとんど設置してある。
日本語で読めるけど英語、ローマ字でしか書き込めないところが多かった。

・知らない国で困ったときどうすれば
いちにも、二にも謙虚さ。相手を見くださない。知ったかぶりしない。えらぶらない。ごまかさない。
しかしダメなものは駄目と態度で示す。
お金でもない。言葉でもない。どこの国に行っても人と人。誠意を持って接すればこたえてくれる。こたえてくれた。

立派なこと言いながら。「自分さえよければすべてよし」を地でいってしまったことがはずかしい。

他に聞きたいこと、たずねたいことがありましたら掲示板かEmailで送ってください。
しばらくはほとんど自宅にいます。

このインタビューは走り出して一年後。アメリカ同時テロ爆破のあと一時帰国していた時の話に今までのことを書き足したものです。
インタビューは水島治さん。水島さんはこのあと奥さんと二人乗りでカナダからアルゼンチン最南端ウスアイアまで走り(現在2006、3月一時帰国中)その前はシベリア横断、ポルトガルまで。オーストラリア一周など。
これからアフリカを目指す二人乗りの夫婦です。